会派の存在意義

2006年3月15日 23時16分 | カテゴリー: 活動報告

役職の割振り、会派の人数で按分することに何の意味が

 会派には属さず一人でいることになっている私ですが、安政会と共産党市議団の2会派と同じ会派室にいるので、孤立することもなく、意見交換・情報交換ができ、実に快適環境です。おかげで一人会派の不都合など感じることもなく、過ごしてきました。

 ところが、今にして「会派の存在意義は?」と改めて考えざるをえないような事態が持ち上がったのです。
 というのは、安曇野市から松本広域連合の議会に出る議員の数が、関係市町村の合併により7人から5人に減らされることになったからです。2人減らさなければならないのですが、どの議員に降りてもらうか、ということが大問題。現在の7人は会派の人数で按分し割当てたもので、五一会4人、共産党市議団1人、安政会1人、平会1人となっています。

 会派代表者会議で協議したのですが、五一会は4人のうち1人降ろすが、降ろした1人は穂高広域施設組合(こちらは逆に関係市町村の合併により1人増える)の方へ入れるという条件付の提案をし、「だからもう1人は残りの3会派でお願いしたい」の一点張りなのです。

 ほかの3会派は1人づつしか出ていないので、どの会派でも1人降ろせばゼロになってしまいます。ゼロと1では大きな違いです。
 会派で人数を割り振ったのは、会派というものが「同じ意見・政策などを持つ議員の集まり、政策集団」として位置づけられているからです。安曇野市議会として多様な意見が反映されていくよう、各会派から議員を出すようになっているのです。ただ単に決めやすいから会派に割当てたということではないはずです。とすれば、4人いる五一会から2人減らしてもらった方が、会派の存在意義に適うというものではないでしょうか。

 ところが、これがなかなかスンナリいかないのです。五一会から理解が得られないのです。だれでも、一生懸命に取り組んでいる自分の仕事を取り上げられるのは辛いこと、会派の大小には関係ないことです。であれば、「数の論理」ではなく、「会派の意義」を生かす方向で考えていくことが筋というものです。
 会派間の力関係とか、人間関係(というよりはいわゆるシガラミ)が優先して、意欲的に取り組んでいる議員が降りなければならない状況に追い込まれるようなことであってはいけないと思います。