台風23号による桐沢・土石流現場を視察

危険地域に住んでいることを認識することから

 30〜40年に一度の災害と言われてはいるものの、桐沢の土石流現場を見てからは、実際にその30年、40年前のこのあたりはどんな様子だったのだろうと気になっていました。たまたまAさんが持っていた「豊里区50年記念誌」に、戦後間もなくの豊里の空中写真と50年後のそれとが並んでいるページがあり、興味深く見ました。
 もっと広範囲で年代ごとの空中写真を比べてみたら、いろいろなことが判るのではないかと話しているうちに、「あの土石流の現場は、専門家を呼んで県や町の担当者と一緒に見ておきたいね。」「雪が降ったらダメだから、できるだけ早く計画しよう。」と、急遽計画したのが今日の桐沢・土石流発生現場視察。(写真:地図を広げて説明している、正面左が田口さん、右が浅川さん)
 砂防の専門家として渓流保護ネットワーク代表の田口康夫さんにお願いし、地方事務所の林務課普及係と治山係の職員、町役場農林課の職員、町の議員数名、住民数名、報道関係2名、そして私たち呼びかけ人4名が参加。2時間半かけて現地を見てまわり、今回の災害の原因や今後の対策の方向など話し合いました。

 田口さんからは「これだけの土石流が起こったにもかかわらず被害が少なくてすんだのは、桐沢の本流にいたるまでのところに広い緩衝地帯(荒れているとはいえ山林)があって、土砂や水が散らされたから。今回の被害を受けた地域も、元々はそのような緩衝地帯であり、その昔は人も住まないところだったのではないか。」「居住地になっている現実があるのだから、治山と下流域の安全を考え、堰堤や砂防ダム建設の費用対効果や、森林整備など土砂流出を抑える様々な方法も含めて総合的に進める必要がある。」「上流に比べて下流の川幅が極端に狭くなっているところは、まっ先に何とかしないと。」などのお話があり、地質に詳しい浅川さんからは「台風23号のあと何度か調査に入ったが、富士尾沢から桐沢にかけて粘土質の層を含む断層があることが判った。粘土質の層は雨水を通しにくいので、断層から上部の斜面には水が溜まりやすく、土石流の発生につながったのではないか。」との説明がありました。

 森林に詳しいIさんには、山主さんの許可を得て倒木と立木それぞれ1本づつ伐採し、年輪を調べていただきました。「直径15cmぐらいの細いヒノキだけど、なんと60年もの。戦後に植えたものかと思っていたが、終戦前に植えたものだね。適地ではないし、手入れもされずで太くなれなかったようだ。この状態の山では崩れやすくなるのも無理はない。」

 県の職員からは「対策は三つ。一番安上がりなのは、流出した土砂や倒木を片付け、沢筋の流れを遮らないようにすること。その次は砂防堰堤を数箇所に造ること。億単位でお金をかけられるなら、上の崩れそうな所をすべてコンクリートで固めてしまう方法もあるが、これはまず無理ですね。」、町の職員からは「台風23号で水や土砂が溢れ出た直接的な原因は、桐沢が山麓線道路下を通る暗渠が狭く、詰まってしまったためである。早急に拡幅工事を進める計画である。」など、具体的な話も聞けましたが、砂防堰堤を造るについては必要論、慎重論さまざまで、すぐには結論は出ませんでした。

 ひとつ全員一致したのは「山麓の沢筋下流域に住んでいる人たちが、今回の災害をきっかけにして危険地域に住むことの認識を持ち、住民と行政に専門家も交えて、今後の防災、治山治水について考える場が必要である。」ということ。まずは地元住民に対しても、今回のような現地視察と説明会を開くこと。できるだけ早く、といっても山はすぐ雪ですから来春になりますが、町と県に要望しておきました。