市民の陳情は議員配布のみで審査は行わず

安曇野市議会は市民の声に耳を傾けようとしないのか

 23日の議会運営委員会(議運)もどうかと思いましたが、本日24日の全員協議会(全協)も議会の都合ばかりを優先した市民不在の議論に終始しました。
 市民不在とはどういうことか?12月定例議会から「市民の陳情は議会運営委委員会で内容等確認後、写しを議員配布するだけで審査は行わない」と決めたのです。
 これまで、陳情も請願も同等に扱い、委員会で審査し、本会議で採決してきました。それで何の不都合もありませんでした。それをなぜ今変えなければならないのか、それも改悪の方向へ。私にはまったく理解できません。

 そもそも請願と陳情の違いは何か。内容による違いではなく、請願書には紹介議員が必要であるのに対し、陳情はその必要がないというだけなのです。住民の要望を議会・行政に反映するという点では違いはないのですから、紹介議員の「ある」「なし」でその扱いが変わるのはおかしなことです。
 紹介議員をお願いしても、その議員に問題意識や理解力がなければ紹介議員を引き受けてはくれません。そんなふうに、請願書で出したくても、紹介議員が見つからなければ陳情書で出すしかないわけです。
 にもかかわらず、議会によっては、この紹介議員の「ある」「なし」を理由にして、請願より陳情を軽く扱っているところがかなりあります。議員必携では「陳情を議会として審議することなく単なる資料配布扱いをすることがふえてきている。誠実に処理することが望ましい」と戒めているくらいです。
 藤原議長も「市議会だより第17号」の就任あいさつで「議会と市民の皆さんとの距離を一層近づける努力をする」と決意を述べているのに、なぜ市民と議会を遠ざけるような(陳情を軽く扱い、審査しない)ことに積極的になるのでしょうか。真意がわかりません。

 大方の議員は、「紹介議員が1人でもあれば請願として扱うのだから、ちゃんと審査・採決してもらいたければ紹介議員を付けるようにと指導すればいい」という考えで、市民の陳情を制限する=市民の権利を侵害する、という意識はほとんどないようでした。
 でも、考えてもみてください。紹介議員を見つけることは、一市民にとってそんなに簡単なことではありません。28人の市議会議員のなかから、どうやって自分の訴え、願いを受け止めてくれる人を探したらいいのでしょう。「片っぱしから当ってみればいい」と言うのは、これまた簡単です。

 けれど、安曇野市議会では紹介議員を引き受けてもらうのは、実は大変に難しいことです。なぜか?会派議員が多いですから、紹介議員になるにも個人の意志では引き受けられないのです。会派内に見解の違う議員がいれば、遠慮して紹介議員にはならないでしょう。実際、これまでも「紹介議員になったけれど、会派が目指す政策の方向と違う請願内容だからまずい。降りさせてもらう」という議員がいました。
 おまけに、紹介議員は本会議で請願の趣旨説明を行う、ということも今回の議運で決めてきました。主旨説明のためには勉強もしなくちゃならない、会派にも気を使うとなれば、そう簡単に紹介議員になってくれる人はないでしょう。

 おいそれと請願に変更できるものではないことは、議員自身が一番よくわかっているのではないですか。ひどいと思います。
 もっとひどいと感じたのは、議会事務局の職員の発言。陳情の扱いについて「議員が絡んでいないものまで審査することはない」「どこの誰だかわからないような陳情もある」「大きい議会ではいちいち審査していない」など、議員以上に権威主義的な発想に驚きました。 

 こうなれば、市民として「陳情も請願も同等に扱い誠実に審査せよ」という陳情を山のように提出するしかありませんね。請願で出そうという人があれば、この私が紹介議員になりますよ。