それでも、当事者である自分自身のことについて、一般質問で取り上げるには躊躇があって、迷いました。しかし、よく考えてみると、これは私ひとりの問題ではなく、安曇野市の前例となって後々に大きく影響する事件だ、放っておいてはいけないと思いなおしました。これはやはり押さえておくおかなくてはと、一般質問することにしました。
ところがです。やはり自分のことで問い質していくというのは、矛先が鈍るというかやりにくいものです。住民訴訟の一般論で議論したいのに、宮澤市長は安曇野菜園のことでは職員は夜も眠れないほど大変な思いをしたとか、裁判のために多額の税金を使うことになったなど、言外に「この裁判に限っては譲れない」という気持ちを滲ませていました。
すると、何だか市を訴えたわたしがイケナカッタのかしら、みたいな気分にさせられるから困ったものです。敗訴住民に訴訟費用を請求することは、まさにこうした「萎縮効果」をもたらし、自治体と市民の信頼を壊してしまうことになるのではないでしょうか。
とりわけ、安曇野市が弁護士報酬として721万円の出費となる点を強調したことは、残念でなりませんでした。市民の税金を使って住民訴訟を闘うという行政の矛盾をどう考えているのでしょうか。住民訴訟で訴えられれば、市は税金を使って裁判を闘うことになる。市長や職員が自費で争うわけではない。
税金の無駄遣いを止めさせたいのに、裁判になればさらに税金が費やされることになる。いったいどれだけの税金を使わせることになるのか。訴えた住民側も住民訴訟の費用負担の矛盾を抱えてどうしたものかと、さんざん悩むのです。
それでもわたしたち市民は住民訴訟踏み切りました。長い年月と多くの市民から寄せられた100万円にものぼる浄財を費やして、ひたすら公益のために裁判を闘ってきました。市の弁護士費用が721万円だというなら、原告市民側の弁護士費用もほぼ同額と見るのが妥当であり、それは公共善の奉仕精神にあふれた弁護士に支えられたものでした。
「訴えられたためにこんなにカネがかかってしまった」とでも言いたげな宮澤市長には、「なぜ住民訴訟にまで発展したのか。元はといえば市政の問題ではないか」という視点がなく、ほんとうにがっかりしました。