安曇野市議会基本条例の説明会・意見交換会

~副委員長のわたしが条例の解説を担当しました~

 2月3日の豊科会場から始まって、市内5会場で「安曇野市議会基本条例」の説明会・意見交換会を開催しました。8日の夜の明科会場を最後に終了しましたが、述べ120名ほどの市民参加をいただきました。昨年8月の市民と議会の意見交換会では、3回開催して40名足らずでしたから、今回は広報に力を入れ、区長さんや公民館長さんにも直接お声掛けしました。そう多くはなかったものの30代、40代の若い世代の方々の参加もあり、丁寧に5回やってよかったと思いました。

 条例の解説は、議会改革委員会の副委員長である私が担当しましたが、これがなかなか難しくたいへんでした。条例案(まだ素々案の段階)には逐条解説が付いているのですが、その逐条解説を読み上げるだけではあまり意味がないと思い、わかりやすい説明を心掛け説明原稿を準備しました。
 ところが、豊科会場、穂高会場と2回開催したところで、「説明に個人的見解が多いのではないか?」という議会内の意見から、説明原稿の見直しをしました。3回目以降の堀金会場、三郷会場、明科会場では、「個人的見解」とされた部分はカットした内容で説明をしましたので、ご了承ください。
 カットした部分は、議員個人の情報発信の場であるここに記しておこうと思います。以下、そっくり全部カットとなった説明導入部分です。

◆安曇野市議会基本条例の説明に入る前に、
 地方議会の基本について押さえておきたいと思います。

 地方自治法第89条には、「普通地方公共団体には議会を置く」と定められています。この自治法を根拠に自治体は議会を運営しています。 地方自治は、民主主義の学校と言われますが、民主主義の基本である直接民主主義、つまり「自分たちのことは自分たちで決める」ということ、これが自治の基本です。そうした自分たちでものごとを決める仕組みを持った地域社会、それが自治体ということになります。

 こうした地方自治の規定は戦前の大日本帝国憲法にはなかったものです。戦後、ようやく日本国憲法に地方自治が規定されたのです。 戦前は地方名望家政治ともいわれ、資産家、実業家、豪農、庄屋・名主を務めた旧家などから議員が出ていました。選挙権にも制限があった時代であり、地方議員は名誉職で報酬もなかったのですが、もともと特権階級であったといえます。 戦後まもなく1945年(昭和20年)12月、女性参政権を含め完全普通選挙が認められました。昭和22年には地方自治法が施行され、民主主義の時代になりましたが、戦前の地方名望家政治の名残が今に続いていることは否定できません。

 昨年8月に安曇野市議会が行った市民アンケートでは、首長のやることにお墨付きを与えるために存在するような議会や議員ばかりで、行政のチェック機能を果たしていない。名誉職議員はいらないと痛烈な批判をいただきました。 「意識改革は難しい、人の心はなかなか変えられない。まずは制度改革、仕組みを変えることが大事」ということで、議会基本条例の制定の意義は大きいと思います。

 もうひとつ、議会基本条例の制定が必要とされている背景に、2000年の地方分権一括法制定があります。同時に地方分権を進めるために地方自治法の大きな改正も行われました。この改正によって(機関委任事務は廃止され、)国と地方の関係は上下・主従の関係から対等・協力の関係へと変わりました。
 これは、地方自治にとって待ち望まれていたことですが、それまでお上の指示通りにしていればよかった受身の体制からいかに脱するかが課題となりました。自主的、主体的に各自治体が地域の実情に応じて、行政の独自性を発揮できるようになったにもかかわらず、なかなか難しいというのが現状です。これまで行政追随の面が強かった地方議会もまた、自己改革と活性化が求められているのです。

*意見交換会でいただいた質問や意見については、この次に報告します。