告示が迫っても立候補に名乗りを上げる者が少なく、このままでは無投票になってしまうと心配したほどでした。現職の候補にしても、選挙区の枠・縛りがなくなるわけですから、「他地域から入る票よりも逃げる票が多いかもしれない」と、不安で票読みの難しい選挙だったと思います。
その一方、投票する側、有権者の立場から見ると、今回の地域の枠が外れた選挙はどうだったでしょうか。「選択肢が広がった」のか、やっぱり「地元のこの人を」や「○○の関係であの人を」だったのか興味あるところです。
いささか昔の話になりますが、1991年春の統一地方選挙、穂高町議会議員選挙を控えた3月だったと記憶しています。常会長に召集がかかって、出掛けて行ったら「選挙準備の集まり」で、壁に選対の組織図まで貼ってあってビックリしたことがありました。常会長として自分の名前が当然のごとくに組み込まれていて、二度びっくり。地域で推す候補者はすでに決まっていると聞いて、三度びっくり。
常会長は、候補者を紹介するために常会内の各戸を道案内し、候補者と一緒に挨拶回りをすることになっていました。「候補者のことを良く知りもせず一緒に挨拶回りなどできない。道案内だけにしてください」と言ったら、「あんたねぇ、ここに一緒に暮らしていて、こういう時に協力しないでどうするの」と一喝されました。
こんなことをわざわざ書いたのは、20年近くがたってもこういった「地域選挙」の実態は、そう変わってはいないと実感した出来事があったからです。
9月のある日、市内のある直売センターへ行って、「私の政策リーフレットほしいという人がいたので、持ってきました・・・」と言ったら、責任者と思しき人が「選挙?ダメダメ!ここは△△さん支持だから・・・。小林さんのリーフほしいなんていう人、いったいだれだろう・・・」と険しい表情。しばらく間があって「あっ、そのぅ、投票は自由だからね、強制しているわけじゃないから」と言い訳も。
同じ地域で2人候補者が出てしまい、一本化でもめたという話も聞きました。それぞれ主義主張があって立候補するなら、地域で一人に絞ることもないのでは。私の住む古厩区では4人も立候補しましたが、人数調整しようなんて話は一切なかったです。(結果、現職3人が当選)。20年前にはガチガチの地域選挙だった古厩区が、一足先に自由な選挙に変わってきたことを評価したいと思います。
告示の一か月前になっても立候補表明が定数(28)に足らず、「無投票は絶対に避けたい」と言って果敢に出馬の決意をした人。かと思えば、出る・出ないと二転三転した人。告示日に突然立候補届を出した人など、さまざまな「選挙模様」が繰り広げられた今回の市議選でした。
ところで、地域選挙という中には「地区推薦」(自治会が候補者の推薦をする)というのもありますが、これは自治会組織が選挙に関わるということで、公職選挙法違反になりかねません。長野県選管のホームページにも「◆選挙は選挙人個人の自由な意思の表明によって一票を投ずることが、基本原則であり、民主主義の基をなすものです。 ◆ 自治会や町内会は中立な立場であり、いわゆる「ぐるみ選挙」といわれるような、「締め付け」行為などは、行ってはなりません。 ◆あらかじめ特定の人を決めておいて、単にその会合において了承させ、形式的に決定することは、一般に選挙運動となり、事前運動の禁止に触れるものと解されています。」などと警告されています。
また、「自治会の全部の世帯からの参加がある総会で、一人も反対のない全会一致で決定された場合であるなら『自治会推薦』(地区推薦)という言葉が使える。しかし、全員参加の総会で全会一致ということはまずないだろうから、実質的には自治会推薦という言葉は使えない。」ということも、多くの選管の一致する見解です。
自治会と選挙は切り離すべきだという声は、選挙のたびに多くなっています。この多くの声は「隣近所のお付き合い」のなかに押し込まれ、なかなか大きな声としては聞こえてきませんが、投票行為としては確実に現れてきています。つまり、地区の選挙のお手伝いには参加するけれど、誰に投票するかは別の話、自分の基準で選ぶ、という有権者が増えてきているということです。同様に、仕事や商売の関係や様々なシガラミには影響されずに投票する人、こちらも確実に増えてきたと思われます。
「候補者(議員)が変われば、選挙が変わる」のか、「有権者が変われば、選挙が変わる」のか、どちらが先とは言えませんが、とにかく、議員となった自分としては「まずは候補者(議員)から選挙を変えよう」と言いたい。それは、とりもなおさず議員としての働き方を問い直すことであるからです。