福島県三春町は、福島県のほぼ中央部、郡山市の西に位置し、のどかな中山間農業地域。かっては地域の中心商業地であったが、消費者が郡山市や郊外店に流れ中心市街地の空洞化が進んでいる、というのは穂高町にも共通している。
三春町では1975年〜85年頃、全国的に学校が荒れた時期と同じくして、校内暴力や非行、いじめの兆候が見え始め、学校では対策に頭を痛めていたといいます。原因を分析した結果、一斉授業型・没個性型の教育、教師と生徒・生徒同士のふれあいの不足、偏差値偏重型の進路指導などが原因と見て、教育委員会では三春町の教育改革推進の柱を「創造的教育観と教育方法の改革」「生涯学習や学校教育のための施設・設備の改革」「地域住民の教育参加」の三点に置き、現在に至るまでも粘り強く進めてきました。
学校の建替え時期を迎えていた83年「学校建築研究会」が設立され、行政・教師・住民そして学校建築設計の専門家が、教えやすさより学びやすい学校の空間はどうあればよいかを根底に話し合いを重ね、これまでの概念にとらわれない新しい感覚の学校が生まれることになります。それが、今回視察した三春町立岩江小学校です。(中学校は「教科センター方式」で、生徒は各教科の専門教室に 移動して学習するスタイルになっています。)
岩江小学校は児童数376名、学級数13、教職員数19名のこじんまりとした学校。まずは校舎内を見学、2教室を1ユニットとした設計で、実に広々としたオープンスペース型教室です。この広さを生かして2学級一緒の授業をはもちろん、個別の学習活動や製作活動として、また図書や学習材、教具などを配置し、情報・資料センターとしても機能しています。(写真:1年生の教室にはこんな部屋も。小さな子どもには隠れられるような狭いスペースも必要とのこと。)
これだけオープンだと、学級単位の授業や個々の学級経営はどのように進めているのか気になりますが、答えは実に明快でした。”学級”ではなく”学年”経営が基本で、2人の担任と教科によって補助的に入る教師とがティームティーティングで、学級の枠組みを外し弾力的に学習集団を編成し、指導に当たっているというのです。信州教育では担任のカラーが全面に出る学級王国的指導が主流ですが、教師一人にできることは限りがあると見定めて、教師それぞれの個性をティームプレーで生かしていく方が、子どもたちにとっても良いことだと思います。実際、この小学校では、担任と折り合いが悪い子も、隣の担任とはウマが合って救われるとか、学習集団が固定化していないので子ども同士や教師との対人関係もゆるやかだということで、不登校もずっとなかったそうます。
「この学校へ来ると、教師は変わります。変わらないとやっていけないからです。教師も成長するということですよ。」と教頭先生。ようするに、オープンスペース型の学校を建てたから、それでいい教育ができるというのではなく、オープンにすべきは教師の凝り固まった発想・心情ということなのでしょう。
最後にその教頭先生が「オープンスペースだと国の学校建築の基準に合わない、教室が大きいから国の補助金は出ないというんです。それでもこの設計で建てたかったから、とにかく安普請ですよ。マメに修理しながら大事に使っているんです。」とおっしゃるので、私は「でも、扉や建具の色が学年別にみな違うのですが、実に美しくて心和む色合わせで、細部まで丁寧に作られているのが伝わってきます。」と応じたところ、当初のペンキの色見本がないので、塗り替えのたび扉からペンキをこそげ取っては塗装業者に同じ色を調整してもらっているとのお返事。さすがと思いました。