松枯れ対策を考える3回目の学習会
~安曇野市を考える市民ネットワーク・横地泰英さんから届いた学習会のレポートです~
松枯れ対策を考える学習会が2014年4月26日(土)、安曇野市明科で開かれた。市民有志の主催で、3回目。空散を6年間やめている上田市の環境市民団体「ヤマンバの会」事務局長、村山隆さんと、松本市の林業会社経営、原薫さんの二人がそれぞれの立場から講演、市民約40人と対話して農薬空散問題等を考えた。講演と質疑の要旨は次の通り。
◆ 松枯れ原因、「虫害」オンリーではない 村山さん
【村山隆さん講演】
おそらく、いままで表に出ない「松枯れタブー」があると思います。これからお話しすることをレジュメにしたら、B4で8ページになってしまいました。その中には、タブーになっていた部分も含まれています。
3月に上田市の協議会が農薬空中散布について方針を出しました。「薬剤と健康被害の関係が明らかでないから、実施を見合わせる」というものでした。6年連続の中止です。行政が「予防原則」を尊重した全国でも数少ない、画期的なことです。なぜそうなったか。一番は被害者が声をあげたこと。次に医療機関の役割が大きい。佐久総合病院が疫学調査をしてくれた。上田市の中でドラマが生まれ、市長が決断した。
マツはなぜ枯れるか。松枯れ症状の原因を全部「マツクイムシ」のせいにして一件落着では、大切な視点が欠落してしまいます。ザイセンチュウは衰弱し抵抗力を喪失したマツに取りつく。樹勢弱化をもたらした人間の行為にこそ第一原因があります。人間に多様な死因があるように、松枯れにも様々な原因があるのに、いまは虫害一辺倒です。
私が到達した松枯れ原因論は、①もともとマツは陽樹で、放っておけば枯れ、植物群落遷移して行く ②里山管理しないマツ山は弱体化する ③酸性雨、霧、大気汚染による土壌酸性化 ④弱体化したマツにとどめの一撃―ザイセンチュウ、です。1971年以前は酸性雨・霧説が有力だったが、71年にザイセンチュウ説が出てくると、公的機関もセンチュウオンリーになってしまった。原因と結果を取り違えていないか。センチュウは原因というより、結果なのではないか。
農薬の空中散布は6年前上田市が中止したが、長野県全体ではなお行われている。長野県は平成23年に有人ヘリ松くい虫防除検討部会が「最終報告書」をまとめた。県内市町村には、現在この報告書が空中散布のマニュアルになっている。報告書の内容は、誤ったデータで、空散が効いたかのように記述するなど、問題が多い。坂城町は3年間空中散布を中止し、2年前再開したが、再開後の方が被害がふえたといいます。
庶民、市民の目で点検、調査することが大切です。マツタケへの空散影響はどうか。松枯れを通して真実が見えてくる。データや説明をうのみにせず、自分で考えることです。
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【質疑】市民Aさん=空散は一時取りやめもありそうだが、では市民、住民活動として何ができるかを考えないと…。普通の市民がボランティアとして実働できるか。心ある人、自然を愛する人たちが出動できるか。
【村山】市民団体の存在意義は、「本質暴露」だけでは共感を得られない。ヤマンバの会は、まず実践、体を動かすことから始まった。伐倒燻蒸現場に塩ビシートが放置されているのを片づける活動を続けた。共感が市民に広がり、行政は事業化し、片付けるようになった。雇用促進の模範になった。木を守る労働奉仕、山を守る、自然の保護は、ご先祖様の英知に学ぶということです。清々する山の管理、里山づくりをする。高速道、新幹線に掛けてきたエネルギー、お金を里山に掛ける。体を動かし、身を持って山を守ろう。安曇野にはそういう条件があると思います。
【質疑】市民Bさん=松枯れは南から北上と言いますが、南は全滅したのですか。その後の森はどうなったのですか。
【村山】マツにこだわることはありません。必要ならいろんな方法をやることです。空中散布をやめれば、違う知恵も生まれる。アメリカやカナダのように、松枯れの抵抗性品種がとってかわるかもしれない。植物生態学を駆使しながら考えるしかないでしょう。
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◆もう一度、住民が山に入り「どうしよう」と考える 原さん
【原薫さん講演】
林業を事業として成り立たせたいと考え、会社を引き継ぎました。山は守るべき対象です。ほんらいの日本の里山、手が入ることで生まれた多様性、豊かな景観の里山をもう一度取り戻したい。農薬の空中散布はたしかにいざこざを起こしています。しかし、それで山の問題は解決できません。手厚く経済に組み込んでゆかないと、持続経営できません。原発と同じことが農薬の世界でも起きていて、行政もご苦労していますが、責めても何もなりません。
私が山に入ったのは15~16年前、手仕事世代のおじちゃんたちから聞いた話が私の財産になりました。静岡の井川で、間伐ではなく皆伐でした。伐ったあと「地ごしらえ」をするのですが、大変な作業なので、昭和30年代まで焼畑が続いていたことから、「燃やしたら」と提案しました。「そりゃいい、山主は喜ぶわ」という返事でした。同じ樹種ばかりになって土壌が酸性化したり、栄養過多でいろんな菌がはびこる、自然界のバランスが崩れるなどで「山焼きはいい」といろんな人が言います。しかし実際には、人がいなくなって山焼きはできなくなっているのです。
焼畑を見に、宮崎県へ2回行きました.しっかり防火帯を造ります。破壊行為ではありません。焼くことでミネラルを供給し、病原菌は死ぬ。焼いた後、広葉樹は萌芽更新します。新たに植樹し、その間に小豆や大豆を植える。森は再生し、収穫もできる。このような焼畑は栄村、そして山形県温海町にも残っています。私もスギをやめて焼畑をし、広葉樹を植えたり、どこかでやりたいと思います。もういちど住民が「山をどうしよう」と入り込むことが何より必要です。
もうひとつ、村山さんたちヤマンバの会のビニール回収のこと。伐採された枯損木を、ビニールでくるみ生分解に任せる。今は生分解シートが高くて使えず、塩ビシートです。私には墓場のように見えます。樹木は次の世代のために朽ちてゆく。何かを殺して何かを生かすなんてできないのです。
松本の岡田神社では枯れたマツを燃やして炭化し、土壌化しています。安曇野市も林業センターに持って行き利用を検討していると聞きます。リンゴ箱をつくってみたら、箱ほしさにリンゴ注文が増えたとか。あきらめずに、知恵を出して、できることから始める。アカマツ、カラマツ、ヒノキ、あるもの、身近なものを利用し生かす。木の文化を継承して行くことだと思います。
(記録まとめ=安曇野市を考える市民ネットワーク・横地泰英)