新体育館建設について政策討論会議 形ばかりの1時間
~宮沢市長の説明 述床面積8,350平米の計画には
正当性も妥当性もない~
宮沢市長を招聘しての政策討論会議、まずは多くの皆さんに傍聴いただき感謝です。議員の中には、傍聴者に「どうしてこんなに大勢の傍聴者が来たのか?」と聞いている人もいましたし、傍聴者が多かったことについては、市長も気にしていたのではないでしょうか。無関心な市民ばかりではないですよと、アピールできたのではないかと思います。
政策討論会議ということであれば最低でも2時間は必要。早く終るとしても6時か7時かなと心積もりして席に着いたら、会議次第のペーパーには何と1時間で終わりと書いてあるではないですか。私はもう会議が始まる前からガッカリでした。
会議の冒頭、市長から敷地外に体育館を建てること、さらにはそのための用地交渉に入ることについて説明があり、それだけでも時間がかかるわけで、そのあとに増田議員、松沢議員、小林と発言が続いても、時計のことを気にしてか、議論が深まるような議員発言が続かず。宮沢市長はといえば、新味の無い繰り返し答弁と的外れな論旨の展開に終始。
そして、会議の終盤になって、宮下前議長がシビレを切らしたように浜議長に(隣の席から)「市長発言を抑えるように」と指示を出し、市長が黙ったそのあとに発言。それに続き竹内議員も発言。それらはまさに「8,350平米の大規模な体育館建設を追認し、用地買収に入ることへのお墨付きを与える」ための発言に思えました。
(議会軽視と憤っていた)議員の中には、用地交渉についての説明を市長自らが議会に行えば、議会への筋を通したことになるから、そうしてもらって議会がそれを受け止めればよいとする議員もいたのでしょう。この会議を1時間で終わりにしたかったのは、市長に説明させ、議会に対して筋を通したことにして、それ以上の政策討論の場にならないようにしたかったからではないか。政策討論会議に期待していた私は、大いに肩透かしを食らった気分でした。
筋を通したというなら、むしろ浜議長が「ここは政策討論会議の場であり、議決する場ではない」「用地買収の交渉に進むことを議会が承認したわけではない」と議会ルールのポイントを押さえた議事進行をしたことです。
宮沢市長は、「合併協議にあたり約束した事業」なので「やらなければいけない時にやっておく」と前置きし、「最も有利な財源である合併特例債を使わない手は無い」という話しかせず。
そこで、わたしは、「やらなければいけない時にやっておく、というのは合併特例債の期限のことですね。合併特例債を使おうとするから、様々な混乱が生じている」「特例債を使わないと決めて、体育館整備計画に取り組めば、市民にとってもっと使い勝手のよい小さくても機能的で、維持費もそれほどかからない体育館をじっくりと作り上げることができる。特例債の期限にこだわれば、東京五輪の建設需要と重なり、資材の高騰や人手不足などで建設費が高騰し、市の財政にさらに悪影響を及ぼしますよ」と、特例債を使わないという発想の転換を求めました。
すると、宮沢市長は「特例債以外に使える有利な借金はない。何十億円も財源をためるまで待つことは考えられない」と反論。わたしは、市民ニーズに合った適正規模の体育館なら何十億円もかからないし、政府提案の比較的有利な地方債があることも調べたうえで話したのですが、まるで聴く耳を持たないその態度はほんとうに残念でした。
以下、もっと充分な時間があれば私から指摘しておきたかった問題点です。
新体育館の建設計画が公表された昨年6月から、維持管理費等の経費を示してほしいと求めてきましたが、はっきりさせないまま1年以上過ぎました。判断するに必要な情報を明確に示さないまま、「建設地は公園外に土地を確保して・・・」となり、「8,350平米の大規模体育館で決まり!」みたいな進め方をしているについては、市民不在、議会不在のやり方で、受け入れることはできません。
市民の意向を丁寧に聴いたら反対の意見が多くなることは予想できるので、アンケート調査をして建設反対が多数を占めたらどうしようとの恐れからか、市長は頑なにアンケートを拒否しています。市民のための体育館というより、体育館建設を市長が政治的に利用しているように思えてなりません。
ちなみに、8350平米に至る経過ですが、
平成2年、南部総合公園の都市計画決定に伴い、老朽化する南部社会体育館1,653平米に代わるものとして3,350平米の体育館を計画。倍の広さになりました。
平成9年には豊科町の基幹体育館として整備するならもっと大きなものにしたいということで、さらに倍の6,100平米で都市計画決定の計画変更の認可を受けました。
そのころの豊科町総合体育館研究委員会では、建設費など財政的な見通しが立たないとして、研究会は中断され合併協議がまとまるまでの7年半は休眠状態でした。
それが、合併協議の中で安曇野市の体育館として整備することが決まり、豊科町では慌てて中断していた研究委員会を再開し、6,100平米の計画だったはずなのに8,350平米の体育館平面図を添付した答申書を村上町長(現副市長)に提出したのでした。
提出されたのは豊科町長であって合併協議会ではなかったのですが、その答申書が現在の新体育館建設の根拠になっているのは間違いありません。
その答申書の本文中には体育館の面積についての記述や、具体的な8,350平米という数字は明記されていません。添付された平面図にも8,350平米という延べ床面積の数字は見当たりません。平面図に示された寸法を頼りに積算すると8,350平米になっている、という実に不自然な答申書なのです。
平成21年10月の前平林市長と現宮沢市長との事務引継書には、「旧豊科町の研究委員会の答申を基に再検討を行う予定」とあるので、前平林市長は合併協議会で認めた6,100平米と考えていたが、宮沢現市長は答申書の中に密かに滑り込ませた8,350平米の方を採用したということなのか、もしかして両市長の暗黙の了解により8,350平米に決まっていたのか、謎です。
いずれにしろ、8,350平米という数字には正当性も妥当性もなく、このまま決定というわけにはいかないことだけは確かです。