‘ゆとり教育’の真意は

教育基本法改正案は「改悪」ではないか

 連休に入り、少しはのんびりすることも必要かと、気持ちの向くままに過ごしています。が、でも、気になることがたくさんあって、なんだかやっぱり心底のんびりできない。いくつかのメーリングリストからは、「共謀罪」法案や教育基本法の改正案(改悪!?)の話題がひっきりなし届いている。気になる、これでいいわけがない、なんともいえないイヤな感じとともに、このあいだ斎藤貴男さんの講演会で聞いた話を思い出しました。

 斉藤さんは「機会不平等」という本を書くにあたって、国の政策に影響力を持つ各界の多くの人物にインタビューしたのだそうですが、そのうちの一人、三浦朱門・前教育課程審議会会長の話をしてくださったのです。
 三浦朱門という人は、東大卒、文化庁長官も務めたこともある作家で、’ゆとり教育’を進める今回の学習指導要領の下敷きになる答申をまとめた最高責任者ということになります。

 三浦さんはこう語ったということです。「学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力をできる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でもいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」
 また「平均学力が高いのは、遅れてる国が近代国家に追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければいけません。それが’ゆとり教育’の本当の目的。 エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ。」

 この話はこれまでも聞いたことがありましたが、実際にインタビューした斉藤さんご本人の証言ですから、改めて「やっぱり本当だったのか」と暗澹たる気持ちになりました。
 政府は28日に教育基本法改正案を閣議決定し、いよいよ国会に提出されます。ここにも、子どもたちを人格ではなく労働者(力)として扱い、ごくわずかのエリート以外の子どもたちの教育は切り捨てるという隠されたメッセージを感じないわけにはいきません。
 事細かに個人や家庭に関わる項目が加えられる一方、「(教育は)国民全体に対し直接責任を負って行われるべきもの」という文言が削除されるなど、国が介入したいことと回避したいこととが見て取れます。「国と郷土を愛する」、「伝統・文化」、「宗教」、「国際平和への貢献」などと、もっともらしく語られていますが要注意です。

 確かに教育現場ではさまざまな課題が山積し、教育が荒廃しているという言葉を耳にしますが、現行の教育基本法が原因で今日の教育の状況がもたらされたとは思えません。むしろ、1947年制定の教育基本法がしっかりと根付かなかったがために、今日の「教育が荒廃」があるのではないかとさえ、私は思います。改正といいながら、これは「改悪」というべき内容です。なんとかして教育基本法改正案に反対する声を政府と国会に届けたいと思うのですが・・・