わたしたちに残された「最後の手段」住民投票を学習(2)

道理を議員、首長につきつけ、道理と数の力に訴える

講師の今井一さんは今「原発」国民投票を目指して活動中です
講師の今井一さんは今「原発」国民投票を目指して活動中です
※わたしたちに残された「最後の手段」住民投票を学習(1)の続きです。

 では、住民投票とは何か。選挙とどう違うか。町内会なども含めて選挙は人を選ぶ。代理人を決めるのです。住民投票はすべての事柄を自分で決める。新庁舎について言えば、住民投票は自分たちで決める。選挙は自分に代わって決める人を選ぶ。
原発をどうするか。国民が投票で決めればよい。菅さんではなく。

 また、選挙は公選法で行われるが、住民投票は自治体ごとのルールをきめればよい。義務教育修了の高校生から選挙権を認めてもよいし、永住外国人を認めてもよい。期日前、投票時間、すべて自由。ポスター、チラシ、だれが何をしてもよい。
住民投票の運動の広がりはすごいが、3年3か月の間43件連続否決され、市民にとっては無理な制度に疲れ、しらけていることも否めません。

 日本の国政は間接民主制です。国民投票は1回も行われていません。原発でやれれば初めてになります。制度はあるのです。憲法改正は、仮に全議員が賛成していても一番大事なところでは国民投票に待たなければならない。

 一方で、菅さんとか森さんとか日本国首相を、国民投票でクビにすることはできない。同じ間接民主制でも地方自治体はまったく違う。首長や議会をリコールできる。地方自治は直接と間接の両輪で動くようになっている。しかしなぜか住民投票制度に欠陥があり、署名を集めても議会はウンと言ってくれない。

 しかし最近変わってきた。四街道市で、佐久市で、ピカピカ市民ホールが建設中止になった。佐久市の市民ホールの事例は参考になる。市長は「つくった後の維持費が大変」と考え、もう一度、理性的判断する機会を住民投票に求めた。公共事業は走りだしたら止まらないものですが、これはストップしました。佐久市に私は5回招かれ、住民投票講習会の講師を務めました。
 
 道理を議員、首長につきつけ、道理と数の力に訴える。
 佐久の議員たちも最初なめていたようなところがありました。「ホールができれば、新幹線で東京のオペラ、芝居に行かなくて済む」という意見に対して、「地域には地域の役割がある。東京に佐久のような自然があるのか」、「合併特例債を何10億も返していかなければならない。もったいない」。
 会場の30代カップルが立派な反論をしました。「そのお金はどこから来たの?国民の税金ではありませんか。財政が大変な時、国庫に返せばよい」。自分たちだけでなく国民全体を考える。市民をなめてはだめです。

 市民ホールをやめて衆愚政治になったか。間接民主主義の破壊になったか。ねじれが解消しただけで議員はだれもやめていない。佐久市で初めての住民投票はとくに重要な問題だからやったんです。