議員定数条例はなぜ決められなかったのか

~議会として市民に顔を背けた結果ではないか~

 全国自治体議会議長アンケートによれば、議会が行政に対するチェック機能を果たしているか聞いたところ、97%が「果たしている」と回答。しかし、有権者からの「果たしている」との回答は33%にすぎなかった。(読売新聞の2011年の調査より)

 この傾向は安曇野市でもそう変わらないのではないでしょうか。議会が住民から信頼されているかどうか、自己評価と市民の評価にはかくも大きなずれがあるのです。

 安曇野市議会改革委の報告には「定数削減が何をもたらすか真剣に考えれば、現状の定数を維持し、市民のために役割を果たす議員としての資質の向上を目指すことが重要であり、課題である」という削減反対論がありますが、市民のために働く姿や議員の資質を向上させようとする努力が市民に見えるものとなっているならば、定数・報酬を減らせという世論はこれほど加熱することはないでしょう。真剣に考えるべきは、議会が住民に信頼されるものとなっていないこの現状を、どう変えていくかということではないか。

 「28人もいるのに議論が低調」、「質疑の一つもしない議員がいる」、「採決する時の頭数でしかない」等々、議会内ではホンネの自己評価もよく聞かれる。そこから導こうとしているものは、「自分のことは棚に上げて」いるとしても、間違いなく定数減の方向です。これを「人気取り」だ「迎合」だという議員もいますが、仮に「自分は絶対に落選しない」ということであれば、3人4人の定数削減に反対する議員はいないという気もします。
 一方で「定数を減らしたからといって、まともな議員が増えるとは限らない」というのも一理ありますが、議員を選挙で選ぶのは市民なのです。市民に選ばれる・必要とされる議員となることの方が先ではないでしょうか。

 今回、4減案、3減案、ゼロ減案と3本の条例案が出され、定数減ということならば4減も3減も互いに譲歩できるのではないかと考えていました。4減案の賛成が過半数に達しなければ、次の3減案でもいいから賛成するという議員がもっと多ければ、定数減の条例を成立させることができたのに、残念ながらそれができませんでした。
 私の目からは、昨年の議長選のしこりや来年の市議選への不安が、今回の議員定数条例提案の混乱を招いたとしか思えず、議会として市民に顔を背けた結果となったことが非常に残念でした。