小林じゅん子は得票数1,955で当選
~ネット選挙解禁により、ホームページで当選のお礼が可能に~
小林じゅん子は得票数1,955で10位当選することができました。 応援してくださったみなさま、ありがとうございました。
ネット選挙解禁により、ホームページやブログ、メールなどで当選のお礼が行えるようになりましたので、もう一度、声を大きくして「ありがとうございました」(ただし、インターネット以外でのお礼は、相変わらず禁止です。公職選挙法の不思議!?)
新たな任期の4年間が始まります。これからが本番です、「いつも市民派、ずっと無党派」の議員として市民目線を第一に働きます。
今回、私は4度目の選挙となりました。2003年の穂高町議選で初めて当選し、合併後の2005年、2009年に続いて今回は安曇野市議会議員として3期目を目指す選挙となりました。
◆得票数の推移は次の通りです。
2003年 穂高町議選挙 4位/18人 1123票
2005年 安曇野市議選挙(穂高選挙区) 8位/9人 1734票
2009年 安曇野市議選挙(全市1区) 11位/28人 1962票
2013年 安曇野市議選挙(定数減) 10位/25人 1955票
最初の町議選は田中康夫氏が知事だった頃で、県議選と同時期だったことや、小林も49歳、支援者も大半が四十代、五十代前半だったので勢いがあり高位で当選しました。 ところが2年半後の第一回目の市議選では同じ「穂高選挙区」で当選枠9位までとなっている内の8位と冷や汗ものの結果でした。苦戦の理由は、支援者層に拡がっていた「じゅん子さんは日頃の活動が評価されているはずだから大丈夫」という気の緩みと、合併後の新市長の選挙のカラミで「市長与党議員を押し出せ」という流れに抗しきれなかったためでした。
前回、4年前の選挙では、小林じゅん子の4年間の議員活動が市民に理解されるようになってきたこともあり、また政策のリーフレットを根気よくポステイングしてくれた方々がいたことや、ポスター貼りも二十代から六十代まで多勢の若い人が手伝ってくれたことなどで、中くらいの順位で当選することができました。
さて、この10年間、私は、市民派・無党派議員として市民目線で考え動ける若い世代の議員が必要だと考え、産廃施設問題で苦しむ三郷の仲間に声を掛けてきました。 ついに今回、増田望三郎さんが市議選に立候補する決意を固めてくれたので、支持者層が重なることは承知で、二人とも当選できるよう頑張ろうということになりました。 これは、つまり、これまで小林じゅん子に投票してくださった人たちの中で、若い世代を中心に相当数の票が望三郎さんに流れる事を覚悟して、この選挙に挑んだということなのです。
望三郎さんは、選挙に勝つために必要だと言われる「地盤・看板・カバン」は無いけど、その高い志と行動力に共感した若者や子育て世代の仲間たちが、「三バン」の代わりにインターネットを駆使して草の根選挙を展開したのでした。ネットを活用することで若い世代にも政治を身近に感じてもらい、選挙への関心を高め、より良い候補者を選ぶための情報提供ができたのではないでしょうか。
私、小林じゅん子は最初の立候補の時からインターネットを使いホームページで活動報告をしてきました。言うまでもなく、「種まき通信」など紙媒体の情報発信や、市民と対面して交流する学習会や市政報告会も重ねてきましたので、ネット選挙解禁になったからといって、特別なことをする必要は感じていません。日頃の政治活動、議員活動の情報発信の方がより重要ですし、そこに手段としてネットを活用することは大いに有効だと思います。
望三郎さんとわたしの選挙は新旧の選挙の手法を取り入れながら、基本的には候補者のメッセージをいかに有権者に伝え共感してもらうかということだったと思います。二人並んで当選できたのは、選挙に対する安曇野市住民の意識が確実に変わってきたことを示したものと思います。
安曇野市長選挙/市議会議員一般選挙(平成25(2013)年10月6日執行) http://www.city.azumino.nagano.jp/gyosei/senkyo/251006/index.html