議会だよりモニター座談会に思うこと
~市議会だよりはこうして変遷をとげてきました~
8月12日に安曇野市議会だより第59号が発行になり、みなさんのお手元にも届いたことと思います。ちょっとでも目を通していただけたでしょうか。
議会だよりの編集・作成を行う議会広報特別委員会のメンバーになること4回目の小林じゅん子ですが、毎号の紙面づくりにはいつも四苦八苦しています。市議会を身近に感じ、手に取って読んでもらえる議会だよりを目指して、毎号の編集に取り組んでいますが、なかなか思うようにはいきません。
ところで、この議会だよりの仕事、私のように4回(8年間)もやっている議員は珍しく、時間的にも技術的にも大変なため敬遠する人がほとんどです。委員になっても2年で次々と交代してしまうのが現状です。一度やったら二度とやりたくないと思う議員が多いのです。結果として、議会だより編集のノウハウやスキルが蓄積、継承されにくく、議会だよりのレベルアップはなかなか難しいということになります。
しかし、そういった背景がありながらも、ここ数年の努力は少しづつ議会だよりの紙面に形になって見えてきたなと感じています。これは、会議録センターで“議会だより編集”の研修を受けるようになったこと(研修を受けましょうよ!という意識になったこと)が大きいと思います。加えて、昨年からは議会だよりモニターをお願いして、毎号の紙面づくりにご意見をいただき、できることは即対応するようにしてきました。モニターさんの声、読者の声は、議会目線の議会だよりを市民目線で作り変えていく必要性に気付かせてくれました。
そんな議会だよりモニターさんと広報委員の議員が、昨日8月22日に「議会だよりモニター座談会」と銘打って、初めて顔を合わせての意見交換をしました。モニターさん11名と広報委員の議員10名が参加。まさに、議会だよりを作る仕事は「議会改革の最前線」であるとの自覚を再認識させられた座談会でした。
さて、その「議会改革の最前線」ということで言えば、小林じゅん子が初代委員長となった時には、まさにその最前線を切り開こうとしていたわけです。当時を振り返ってみると、その時々でもがいていたようなことが、この15年間で行きつ戻りつしながらも確実に前進してきたことがわかります。過去の記録から、そのことがわかりますので、ここに再掲します。
◆安曇野市議会だより創刊号の編集後記
※議会広報特別委員会委員長の小林純子の記事にまちがいありませんが、なぜか無記名ですね。今につながるキーワードは「密室政治になりがちな議会の透明性を高め、住民に開かれた議会にしていく」、「議会の情報公開を進め、市民と議会と行政の関係性を変えていく」、「議会だよりは議会を開くための大切な手段」
《編集後記》
安曇野市議会の新たなる出発にあたり、「安曇野市議会だより」の創刊号をお届けします。
初議会での市長のあいさつには「自治能力の向上」という言葉がありました。議長は「民主的で透明度の高い議会に」、そして副議長は「議会の情報公開の重要性」を、それぞれ述べております。密室政治になりがちな議会の透明性を高め、住民に開かれた議会にしていくこと、これなくして「自治能力の向上」はありえません。
議会の情報公開を進め、市民と議会と行政の関係性を変えていくことが、「開かれた議会」へとつながります。議会だよりは、そのような「議会を開く」ための大切な手段です。
さまざまな角度から、議会での議論を市民に伝えながら、市政や議会への親しみが増し、関心が高まるような紙面作りができるよう努力を重ねてまいります。
議会にこそ、市民からの評価が必要です。お気軽にご意見等お聞かせください。今後の参考にさせていただきます。https://www.city.azumino.nagano.jp/uploaded/attachment/3984.pdf
2005年11月17日
議会広報特別委員会
「安曇野市議会だより」の編集・発行のための委員会
https://junko.voicejapan.net/blog/2005/11/17/3745/
2007年6月1日
議会運営委員会で議会広報編集について協議
第6号で討論の発言者名を明記しなかった経緯について
https://junko.voicejapan.net/blog/2007/06/01/3633/
※2006年8月15日発行の第3号から討論の発言者名を掲載していました。
2007年8月6日
タイミングよく新聞報道
討論の発言者名記載をめぐり対立・信濃毎日新聞の記事
https://junko.voicejapan.net/blog/2007/08/06/3623/