『む・しの音通信』NO.68より

自らの手を縛る議会の規則

 12月2日から、安曇野市議会12月定例会が始まりました。今週いっぱいは委員会審査が続きます。来週は代表質問、一般質問があり、22日が最終日となっています。詳しいことは、安曇野市議会のホームページへ。

 まだ12月議会の報告というところまでいきませんので、今日届いた「女性を議会に 無党派・市民派ネットワーク」http://gifu.kenmin.net/midori/index.html(略称「む・しネット」)の『む・しの音通信』NO.68に掲載された私のレポートを紹介します。
 3か月前の9月議会での出来事をまとめたものです。

《自らの手を縛る議会の規則》
 議会に提出された議案について、質疑(疑義を質す、質問)することは議会(議員)のもっとも重要な役目の一つである。それは、また、行政側にとっても説明責任を果たす大切な場面である。にもかかわらず、こんなことが起きている、ということで問題提起をしたい。安曇野市議会9月定例会の本会議、議案質疑でのことある。

 安曇野市が出資する第3セクターの会社が、指定管理者として運営しているレストランの営業収支について質疑したところ、「700万円余の赤字」との答弁があった。しかし、情報公開により、わたしが入手したそのレストランの年次報告書では、500万円余の黒字となっている。「どうしてこうも大きく数字がくいちがっているのか」と質したところ、部長は「なぜ黒字になっているかわからないので、調査してから答える」として、答弁を保留にしたのであった。

 後日の本会議で部長から答弁はあったものの、「はい、そうですか、わかりました」ですまされる内容ではなく、疑問は深まるばかりだったので、再質疑したいと議長に申し出た。
すると、
議長:「それはできない」
小林:「会議規則で認められているはずだ」
議長:「いや、それは当てはまらない」
小林:「ならば、その根拠を示せ」
と、押し問答になってしまった。

 会議規則というのは安曇野市議会の会議規則第59条のことで、「延会、中止又は休憩のため発言が終わらなかった議員は、更にその議事を始めたときは、前の発言を続けることができる。」とある。今回のようなケースは、質疑に対する答弁が保留になったことにより「発言が終わらなかった」と理解したわたしは、当然質疑を続けることができると考え、「それはできない」とする議長に食い下がったのである。

 再質疑の扱いに窮した議長は、議会運営委員会(議運)を招集。暫時休憩となった。
結果として40分ほど議事は中断。議運の結論は、会議規則第59条の「延会、中止又は休憩のため」というのは、議会の進行上の都合のことであるから、発言者である議員個人の事情によるものは認められない。また、本会議質疑はすでに終わっており、保留になっているのは答弁だけだから、質疑の続きはできないと結論づけた。

 わたしとしては、会議規則の解釈の違いに納得したわけではなかったが、議運で時間をかけて話し合った結果であり、これ以上議事を止めることにためらいを感じたので、議運の判断に従うことにした。

 40分も空転するなら、5分もかからない再質疑をさせてほしかった、というのがわたしのホンネある。

 これに対して、議運の「ホンネ」ともとれる議論があったことを後で知った。再質疑が許されなかったのは、会議規則の解釈云々よりも、「再質疑を許せば、特定議員の発言チャンスを増やすことになるからマズイ」という理由が大きかったというのである。

「特定の議員」とは、今回はわたしのことに間違いないが、どの議員にも再質疑が必要となる場面はあるやもしれず、発言の機会を自ら制限するようなことが平気で通るのが不思議でしかたない。

 議会は「言論の府」といわれる。議場では言論で勝負するのが議員の仕事である。賛成にしろ反対にしろ、議員は自己の信念に基づいて発言し、我が意のあるところを市民に向かって表明する義務があるのだ。

 わたしのような無所属の議員は、とかく「一人ではなにもできない」と軽んじられるが、議会での議論はいつも1対1であり、発言はそもそも一人でするもの。選挙区や後援団体のことが気になって、曖昧な発言でお茶を濁したり、発言すること自体を控えるような議員は「数の論理」に頼るばかりで、議員本来の仕事がなんであるかさえ忘れているのではないか。

 議員自らの手を縛るような議会の規則は変えること、ここから始めなければならないというのが、多くの議会の現実であるようだ。