議会報告会をいかに市民のものとするか

~報告だけして市民の意見は聞き置くという会でよいのか~
 今月13日から5地域で5回にわたって開催した議会報告会は、21日の明科会場を最後に終了しました。延べ137人の参加がありました。安曇野市議会としては初めての試み、その点を評価する声もありましたが、やはり厳しいご意見が多かったです。それは当然!

 議会改革推進委員会(私が委員長)が企画運営を任されて準備してきましたが、この委員会内でも議会報告会についての認識にはかなりの温度差があり、わたしが思い描いていたものとはかなり違うものとなってしまいました。それが顕著に表れたのは、議会広報や広報あづみの、回覧やポスターで呼び掛けた次のくだりです。

「議員が議会活動の状況を市民のみなさまに報告・説明するとともに、議会活動や市政全般にわたって、自由に意見交換をする貴重な機会と位置づけています」

 推進委員会で何度も協議し準備してきたわけですが、この呼び掛けの内容についてなにも異論はありませんでした。ところが、いよいよリハーサルという段になって、宮下議長は「報告会であって意見交換会ではない。議員個々の見解を述べないこと」という方針を示し、多くの議員がそれに従い「自由に意見交換をする貴重な機会」とすることをやめてしまいました。

 私自身は議会報告会を市民のためのものとするには「意見交換」が必須だと考えていますが、「意見交換」すると収拾がつかなくなる(議会の体面が保てない!?)と心配し、議会報告会は「議会から報告するだけですませたい」と考えている議員が多いように感じられました。議会報告会は何のために、誰のためにするのかを考えれば、報告だけして市民の意見は聞き置くというだけでは開催する意味がありません。

 議会基本条例を制定し議会報告会を開催してきた全国の地方議会の多くは、「議会報告会の形骸化」が課題になっています。議会の一方的な報告で終わってしまうことへの批判です。そういった実情を知ったならば、その次の段階を目指して工夫していけばよいものを、なかなかそうはならない・・・

 とにかく、このような現状では、「意見交換」重視のやり方は受け入れられず、おまけに、「名指しで意見を求められた場合であっても、個々には応じないこと」という制約までついてしまいました。推進委員長の私としては「議事のなかで賛成なり反対なり表明されたものや、質疑等について問われれば、こういう意見があったと答えることは当然」ということにするのが精一杯でした。

 それでも、なんとか実際の報告会のなかでは「意見交換」となるような場面にもっていきたいと考え、推進委員長という立場を使って発言したのですが、議長の答弁に補足して私が発言したら「議長が答えたら最後。それ以上の発言するとは、議会の権威を貶めることだ」とまで言う議員がいて、(議会改革+議員の意識改革は)前途多難と痛感。

 選挙のときには、○○を目指します、◎◎を実現します、▲▲は任せてください、などと力強く言ってた人たちが、議員になったとたん「議員には執行権がないから、簡単に『やります、できます』とは言えない」では、議員として「説明責任」も果たせないし、「市民参加の推進」など絵に描いた餅になってしまいます。もっと自由に意見交換、対話ができるようにしないとダメだと思います。

 意見交換や対話の重要性ということで言えば、たいへん残念なことがありました。堀金会場でのことですが、議長が市民の真摯な意見に対して「議会を侮辱するものだ」と発言。後で撤回はしたものの、お詫びの言葉はありませんでした。会場が騒然となったのは当然のこと、聞く耳を持たず対話を拒否するがごとき議長の態度は、議会への信頼を大きく損ねたのではないかと思われます。

 「とにかく一度やってみてから(考えればいい)」という、ある意味「気楽な」考えが大勢を占めるなか試行錯誤でやってみた議会報告会は、実に多くの課題を残したと言えます。
 第2回の報告会に向けて、さあ、どうする!