(随時募集中、これからでも参加OKです。)
さて、その市民会議の中身ですが、前回今回と主だったところは、園内のトイレ、園路、四阿(東屋、アズマヤ)、安全柵等についての議論。トイレについては県の当初計画では3,400万円の案まであったのですが、すぐ近くの穂高町いこいの広場センターハウスのトイレを活用することに決め、園内にはユニット型の簡素なものにすることで検討中です。園路は、一部分(展望ポイントまで)車椅子対応仕様にしたらどうか。東屋はどうしても必要か?無くてもいいのではないか。こんな山の中で、都市公園だから転落防止柵、といわれても違和感がある。・・・・とにかく書ききれないほど多くの意見が出されました。ところが、しかしなのです。様々な観点から多様な意見が出るのは良いことだし、これだけ意見が積み重なってくればそれなりの方向が見えてきていいはずなのに、何かすっきりしないのす。
このモヤモヤはどこから来るのだろうと思いながら、会議でもらった「烏川渓谷緑地市民会議ニュースレター」を見ていて、これだ!と気付きました。そこには「市民会議では公園づくりに関心がある方の参加をお待ちしています」と、朱色の目立つ文字がありました。この会議の始まりは「渓谷緑地のあり方やその森林整備について市民参画で進める」だったはずなのに、県の担当者は「公園づくり」それも「都市公園づくり」という当初の開発計画・発想から抜け切れておらず、公園としての体裁を整えることが先に来てしまっているのです。
どんな森を作ろうとするのか、それにはどんな森林整備が必要か、そうしてできた森林は公園としてどうあればよいか考える、それが順序ではないでしょうか。「机の上で考えるのは後にして、まずは現地へ行って森を見ること。」この言葉に尽きると思います。
もう一つ「国庫補助金の都合で、会議がせかされているように感じました。森作りは百年かかるといわれますが、最初からこんなに急がされては、いい森は作れないと思いました。最初が肝心なのに・・・。予算があるから公共事業をやるんじゃなく、一般住民の大きな必要・需要に基づいて予算を捻出するのが本来の公共事業のはず。これではいままでの公共事業と変らないなあ・・・と感じましたが、その場ではまとまった意見にすることができず残念です。」これは参加者の一人から届いたメールですが、これも”すっきりしない感じ”の一つだったのだと再確認しました。