烏川渓谷緑地市民会議に参加して

市民が作る『森の公園』事業のゆくえは?

 今日は烏川渓谷緑地市民会議(第5回)がありました。この市民会議が作られたきっかけは、昨年7月初め、県が烏川渓谷緑地(堀金村区域一部開園)のこれ以上の開発を打ち切り、第2次整備区域(穂高町区域)についてはNPOや住民に協力を求めての必要最小限の整備に留める方針を示したことによります。その頃の私の活動報告には「地元住民として整備にどう関わっていくか、長野県の山の整備を市民参画で行うテストケースともなるわけで、今後の展開が楽しみです。」と書いていました。うっかり参加申し込みが遅れてしまった私は、この前の第4回から参加、今回がやっと2度目の会議。「広く地域の皆さんの意見や要望をお聞きし、地域の皆さんとともに考え、ともに育てていく場として『烏川渓谷緑地市民会議』を設置する」という県の呼びかけで集まった人たちですので、専門的な経験や知識のある人から始まって、私のような関心だけは人一倍あるけれど山や森林のことは実はよく解ってないという者まで、また老若男女幅広く実にバラエティーに富んだ人たちが集まっています。
(随時募集中、これからでも参加OKです。)

 さて、その市民会議の中身ですが、前回今回と主だったところは、園内のトイレ、園路、四阿(東屋、アズマヤ)、安全柵等についての議論。トイレについては県の当初計画では3,400万円の案まであったのですが、すぐ近くの穂高町いこいの広場センターハウスのトイレを活用することに決め、園内にはユニット型の簡素なものにすることで検討中です。園路は、一部分(展望ポイントまで)車椅子対応仕様にしたらどうか。東屋はどうしても必要か?無くてもいいのではないか。こんな山の中で、都市公園だから転落防止柵、といわれても違和感がある。・・・・とにかく書ききれないほど多くの意見が出されました。ところが、しかしなのです。様々な観点から多様な意見が出るのは良いことだし、これだけ意見が積み重なってくればそれなりの方向が見えてきていいはずなのに、何かすっきりしないのす。

 このモヤモヤはどこから来るのだろうと思いながら、会議でもらった「烏川渓谷緑地市民会議ニュースレター」を見ていて、これだ!と気付きました。そこには「市民会議では公園づくりに関心がある方の参加をお待ちしています」と、朱色の目立つ文字がありました。この会議の始まりは「渓谷緑地のあり方やその森林整備について市民参画で進める」だったはずなのに、県の担当者は「公園づくり」それも「都市公園づくり」という当初の開発計画・発想から抜け切れておらず、公園としての体裁を整えることが先に来てしまっているのです。
 どんな森を作ろうとするのか、それにはどんな森林整備が必要か、そうしてできた森林は公園としてどうあればよいか考える、それが順序ではないでしょうか。「机の上で考えるのは後にして、まずは現地へ行って森を見ること。」この言葉に尽きると思います。

 もう一つ「国庫補助金の都合で、会議がせかされているように感じました。森作りは百年かかるといわれますが、最初からこんなに急がされては、いい森は作れないと思いました。最初が肝心なのに・・・。予算があるから公共事業をやるんじゃなく、一般住民の大きな必要・需要に基づいて予算を捻出するのが本来の公共事業のはず。これではいままでの公共事業と変らないなあ・・・と感じましたが、その場ではまとまった意見にすることができず残念です。」これは参加者の一人から届いたメールですが、これも”すっきりしない感じ”の一つだったのだと再確認しました。