ツギハギだらけの年金行政(その2)

ファム・ポリティックス〈2007年夏号〉より情報提供

「ツギハギだらけの年金行政」(その2)
     ファム・ポリティックス〈2007年夏号〉より

*最初から払う気のない「申請主義」*
 3年前の「未納問題」の時にも話題になったが、年金のトラブルの多くが「申請主義」に端を発する。
 保険料は税金と同じようにほとんど強制的に徴収されるのに、いざ年金をもらう時期になると、すべての書類を揃えてこちらから出向かねばならない。申請がなければ、国はビタ一文払わなくてよいシステムになっているのだ。
 保険料を支払ったという証拠(年金手帳や領収書)を国民の方が用意できなければ、職員はコンピューターの画面をのぞいて「そういう記録はありませんねー」と言っていれば済む。

 社保庁の幹部によると、「自分たちで5000万件の中身を精査するという発想はまったくなかった」という。安倍晋三総理大臣も、今はやっきになって「領収書を持ってこいとは言いません」と低姿勢だが、5月の時点では「じゃあ、払ったと言われたら誰にでも支払うんですか?」と、領収書などの確固たる証拠を提示する責任は、支給を希望する側にある、と気色ばんだ。社保庁の事務処理の過程で生じた混乱なのに、真偽を確かめる責任が社保庁にあるとは考えないのである。
 しかし、安倍総理だけを非難することはできない。そもそも、「年金」は、「支払い」を度外視して生まれた制度なのだから。 

*戦費調達が目的だった厚生年金*
 1940年(昭和15年)、民間の公的保険として初めて船員保険が作られる。日中戦争も泥沼化し始めた頃だ。これには軍人への手厚い恩給制度との落差があった。軍の徴用で物資を運ぶ船が攻撃され船員が死傷しても、何の保障もつかない。軍の任務と同じく危険なのに、という不公平感が募った。だから、船員保険は労災や医療保険もついて、厚生年金とは性質を少し違えている。遅れること2年、1942年(昭和17年)、厚生年金の前身「労働者年金保険法」が制定された。太平洋戦争の真っ只中である。

 これは国民への福祉政策として設立されたのではない。徴収された船員保険、厚生年金の保険料は特別会計に繰り込まれ、当時の大蔵省預金部が「運用」した。要は「国債」を買って、不足していた軍事費に充てるためだった。
 「年金を特別会計にし、国債を買って赤字埋めに使う」というこの構図は、今もまったく変わらない。(ファムポリティック52号「国家財政は借金だのみ」参照)「年金保険料」という名目で国民から強制的にカネを集め、戦費調達のツールにするという方法を考え出したのは、プロイセン(ドイツ)の宰相ビスマルクである。
 このしくみのインチキなところは、将来年金として国民にカネを支払おうなんて、ハナから考えていない点。それは年金支給開始年齢が55歳なのを見ればわかる。なんと、当時の平均寿命は50歳なのだ! 

*マッカーサーも呆れた「恩給制度」*
 前述のとおり、軍人には恩給制度があった。1875年(明治5年)に早くも設立され、遅れて1884年(明治14年)、文民つまり公務員に対する恩給もスタートする。
 「恩給」とは、「国家」に対して奉公した者に、天皇が恩を給う、という意味だ。
 厚生年金が、年金を受ける本人の保険料と事業主からの拠出金で賄われるのとは違い、恩給は、国が全額負担していた。当時の感覚では「天皇のポケットマネー」であり、今のシステムでいえば「事業主である国が100%拠出、保険料ゼロ」である。

 戦後、年金制度はほとんど同じシステムのまま残ったが、この「恩給」制度だけは、手を加えられた。「一円も保険料を出さない年金なんて、ありえない」からである。こうしてGHQは恩給制度をそのまま公務員の年金制度にすることを許さず、公務員に保険料を払わせる形にした。その結果生まれたのが、厚生年金と同じく半分が保険料、半分が事業主拠出(つまり国や地方自治体)という共済年金である。
 1948年に国家公務員共済組合法、1962年に地方公務員共済組合法が成立、ここに恩給法は廃止される(ただし旧日本軍人に対する恩給は、旧法のままその後も給付され続ける)。

 こうした歴史的背景を見ると、共済年金は厚生年金と違って、明治の初めから何をおいても「給付」できるように作られていることがわかる。他の年金より恵まれていると感じられるのは、恩給時代の特典をまだいくつもひきずっているからだろう。
(つづく)