小林じゅん子の「決意表明」
~多選批判の声に応える~
安曇野市議会議員議選の告示を10日後に控えたこの日に、小林じゅん子の決意表明をさせてください。長文ですが、ご容赦ください。
じつは、1カ月ほど前ですが、「市会議員5期は長過ぎかな?出馬されないよう、メールで申し訳けありませんがお願い致します。安曇野市会議員若い方に禅譲ください。宜しくお願い致します。」というメールをいただき、5期目を目指そうとする私は、多選批判の声を謙虚に受け止め、その批判に堪えるだけの決意をもって選挙に臨まなくてはならないと、気持ちを引き締めているところです。
【決意その1 個人的なことは政治的なこと
~多数決の議会を超えて、議員一人でもできることはある】
市議会議員として16年、日々そんな思いを強くしながら、議員としてどう仕事をしていくべきか考え続けてきました。まずは、私の「個人的なことは政治的なこと」から。
2005年、安曇野市が合併し私が市議になったまさにその頃、娘がうつ病に。うつ病はいつか治ると5年間治療を続けたところで、双極性Ⅱ型障害(躁うつ病)との再診断、一生お付き合いしなければならない病とわかったのです。精神障がい者となり、障がい福祉制度、福祉医療費給付制度、障害年金制度、人権、社会保障・・・、我が家のこと・個人的なことが一気に社会化しました。すると、私のところへ病気や障害、そこに深くかかわる家庭や家族関係に関する相談が寄せられるようになり、我がことを超えて取り組みが拡大していきました。
2007年には、認知症が徐々にすすんできた母と暮らすようになり、96歳で看取るまでの9年間は、介護や高齢者福祉の問題に向き合わざるをえなくなりました。今年67歳になった私は高齢者の仲間入りをしましたが、こうした私自身の経験をもとに当事者として関わる議員にらなければと考えているところです。
2013年には、障害がありながらも、結婚、出産と前向きだった娘でしたが離婚。一人親になっても児童扶養手当が受けられる・経済的に助かると思ったら、なんと障害年金をもらっていると児童扶養手当は受給できないとわかり、本人はもちろんのこと親の私まで絶望的な気持ちになったこともありました。この理不尽な制度は今年やっと変わりましたが、これはおかしい、変えるべきだと、地方議員の私も動きました。
そして去年のコロナ禍でのこと、孫の学校は休校となり家庭学習はドリルやプリントばかり。やっと再開した学校に行ってみれば、点数至上主義の先生が担任で、孫は1カ月で不登校になってしまったのです。それから半年、安曇野市で一番小さい小学校に転校することができて、今では孫本来の元気が戻ってきました。ここでも、学校や教育、子ども・子育ての問題でつながる人がふえました。
こんな個人的な暮らしや経験のなかからであっても、さまざまな気付きや発見、課題把握ができて、議員の仕事の幅は広がりました。幅が広がれば、市民一人ひとりの声を受け止めやすくなり、結果として市政の課題も深く掘り下げて見えるようになり、解決につなげることもできてきました。
「個人的なことは政治的なこと」とという気づきが、このまちを変えていく原動力になるんだということを、市民のみなさんに実感してもらい、市民とともにまちづくりをしていく、そんな経験豊富で身近に感じてもらえる議員に私はなりたいと頑張っています。
それにしてもです。私のような無所属の議員は、とかく「(多数決の議会において)一人ではなにもできない」と軽んじられますが、ところがどっこい、一人でもできることはたくさんあるのです。市民が必要としているサービスを掘り起こし、市の仕事に位置づける・事業化するとか、逆に市民のためにならない政策や事業に介入して、税金の無駄遣いを止めさせるなど、議会の多数決が必要ないところで、いくらでも市民に喜ばれる政策を実現することは可能なのです。
【決意その2 若手議員を育てるために】
議員を続けるなかで、地方議会の議員の役割を理解し、市民のために働く・仕事ができる議員になるために、研鑽と努力を重ねてきました。支えになったのは「無党派・市民派ネットワーク」(む・しネット)の活動と勉強会でした。
地方自治法や議会のイロハ、一般質問の組み立て方から始まって、議会内の差別やイヤガラセと如何に闘うかなんてことまで、実践的に多くのことを学びました。おかげで、何となく多数派に身を置くとか、行政の追認するだけとかにはならず、市民派議員として自信をもって仕事ができるようになりました。
ですから、議員を引退したら、わたしの議員経験と「む・しネット」から学んだことを、議員を目指す人たちに伝え、育てることをしたいと考えていたのです。それが、うれしいことに5年前、わたしが選挙や議員としてのスキルを伝授した増田望三郎議員から、「政治塾」をやりたいから、講師をお願いできないかという申し出があり、今に続いています。今回の市議選には、そこから4人の立候補予定者を送り出すことになっています。同じ安曇野市議会の中にいて、後進を育てることの重要性を感じているので、もう1期議員としてはたらきたいのです。
後進を育てるなんて、なにかエラそうなことを言っているようで気が引けるのですが、議員は選挙という高いハードルはあるものの、当選すれば誰でもなれるので、議員としてはゼロからスタートという人が圧倒的に多いのです。この私もそうでした。ですから、研修・研鑽は必須。だけど、そこはまったく不十分。これが、安曇野市議会に限らず、全国の地方議会の実態なのです。
【決意その3 議会の現状をよく知る者の務め】
8年前の選挙で定数25人のところ、新人13人が当選しました。新人が過半数を超え、議会が変わるチャンスだと期待しました。が、すぐにそれは失望に変わりました。
新人のうち無所属を標榜していた5人が自民系会派を作り、元市職員、元県職員という人がこれまた5人もいて、議員になることが目的の人、行政追従の人、市長与党的な人、議会を変えたくない人・・・ が目に付きました。会派に勧誘がなかったのが増田望三郎議員と私の2人、見事なまでの見えざる線引きに前途多難を感じたものです。
次の、4年前の選挙のあとはどうだったか。定数を3人減らして22人になり、会派の縛りは緩くなったようにも見えましたが、「議会基本条例ができたから、(議会運営が)やりにくくてしょうがない」と言ってはばからない議員は相変わらず存在し、市民のための議会だということさえ意識にない議員が多いように見えます。
政務活動費の不正使用問題では、自浄能力がない安曇野市議会の姿が露呈しましたが、このところの議会のセクハラ、パワハラ事件では、またしても市議会としての毅然とした対応はなく、市民に背を向けた形の安曇野市議会がまだそこにあります。残念ながらまだ十分に議会としての機能を果たすには至っていないのです。
このような議会の現状をよく知る者が、問題意識を持って残っていかないと、新人議員が入ってくるだけでは、議会は変わっていかないし、市民のための議会になっていかない。これが、もう一期4年間、議員としてやっていきたい三つ目の理由です。
これまでの安曇野市議会は、平均年齢66歳で、かつ40代が2人しかいないという高齢者中心の議会でした。議会は、多様な人々で構成された社会の民意を反映させる場でなければならないのですから、これでは世代が偏りすぎていていると言わざるをえません。
今回の市議選では、この偏りを解消すべく30代から70代まで幅広い世代が選出され、多様な人々で構成された社会の民意を反映させる場となることを願っています。