予想通り、議員控え室や会派室ではこの記事のことが話題となっていました。「あの記事はヒドイじゃないか。初めて(一般質問)やった人なんか特に緊張していたよね。」とか、「緊張感に欠けるって言うけどねえ、(自分は)かなり緊張していたよ。」などと話す声が聞こえてきました。
「小林さんは慣れてるからキンチョーしなかったろうけど、あの記事どう思う?」ときかれたので、「緊張感に欠けるっていうのは、議員が緊張するかしないかという、そういうことを言っているのではないと思いますが・・・。私も議会や議場の雰囲気としてはやっぱり緊張感に欠けていたような気がしますけど。」と答えのですが、みなさんどう思われますか?
辞書によれば、緊張とは「心やからだが引き締まること」、「慣れない物事などに直面して、心が張りつめてからだがかたくなること」など、まだほかにも幾つか意味がありました。今回の議会に当てはまるのは、「慣れない物事などに直面して、気を張り、からだをかたくすること」ではなくて、「心やからだが引き締まること」+「(議会と市行政)相互の関係が張りつめていること」こちらの意味ではないかと思います。市民タイムスの記者も、そういった意味で「緊張感に欠ける」と言いたかったのではないでしょうか。
市民タイムスでは指摘していませんでしたが、美辞麗句で平林市長の当選をモチアゲたり(「市長ご当選おめでとうございます」ぐらいならまだしも)、必要以上に与党会派であることをアピールしたり、些細なことでは答弁に対して「ありがとうございます」を頻発したり、私の目から見ても「緊張感に欠ける」場面は多々ありました。
私も含めてですが、一般質問の持ち時間が1時間あると、往々にして質問、答弁ともダラダラと自分の言いたいことをしゃべるだけ、焦点ボケになりがちです。今回選出されてきた28人の議員たちは、これまでの町村議会の現状を打破したい、超えたいと考えて出てきた人たちです。当然のこと、主義主張がちゃんとあり、一般質問は政策実現へ向けての重要な場面と考えているはずです。
となれば、一般質問が単なる「演説」の場ではなく、よい政策の実現や、わるい政策に介入していく場として機能するよう、議員自身がもっと勉強していく必要があると思います。
以下にご紹介するのは、一市民の方から寄せられた意見です。かなり辛辣でストレートな物言いですが、議員として心して受け止めなければならないことではないでしょうか。
「市長与党的会派を中心に、個人では物を云えない族が徒党を組んで会派と称する。よくある田舎議会の域を脱し得ない安曇野市議会に、やっぱりそうかと絶望感を覚えるのであり、(議員自身)疑問も湧かないのだろうか?とも。本当に市民をなめとんのか?!と云いたくなります。助役人事の件、せめて反対討論もあって、結果、可決承認されたならまだ可愛げあるってもんじゃないですか。」