2006年「これが私の使命」

自由な議論ができる民主的な議会に変えていく

 2006年 明けましておめでとうございます
           本年もよろしくお願いいたします

 安曇野市の議員として迎えた新しい年、やはりこの活動報告のホームページから始めることといたします。
 こうして活動報告を書き続けてマル3年、330ページにもなりました。立ち上げのページは2003年1月8日、穂高町の議員に立候補を表明したところから始まっています。3〜4日に一度は書いた勘定です。
 我ながらよく続いたと思いますが、書くことが好きでやっているのではありません。このホームページを始める前も、頼まれた原稿以外に書いたものなど一つもありません。必要に迫られて書いているだけです。「市政を身近で公正なものにするため、ホームページなどで議員活動を公開し、政治姿勢を明確にします。」という選挙公約を掲げたからには、書かないわけにはいかないじゃないですか。(そんなわけですから、多少まずい文章でも、大目に見てやってください。)

 「議会のことがわかっていいわ」とか「よく続いていますね」と評価してくださる人も多いですが、市議会議員になってからは「ツマラナイことまで書いて」とか「クダラナイこと書くもんじゃないよ」などと、軽くあしらわれることも少なくありません。世の中、さまざまな考え方があるのですから、こういった反応もあって当然。人からあれこれ言われたくなかったら、自分からも何も言わない伝えない、というのが一番手っ取り早い方法ですが、それでは議員としての責任を果すことはできません。やはり、可能な手段はできる限り利用して、情報発信していかなくてはいけないと自分自身を励ます毎日です。

 年頭にあたり、ここはやはり私の決意を書いておきたいと思います。
 市政を自治をもっと身近なものにしていくために、そして議会への「市民参加」を積極的に進めていくために、市民にすべてを公開したなかで自由な議論ができる民主的な議会に変えていくこと(変えようとすること)、これが私の議員としての使命だと考えています。議会での前例や慣例にとらわれずに、いかにまともな議論の場とすることができるか、議会の本来の機能を発揮させることができるか、政策論議以前のところで、まだまだやることが沢山あるような気がします。

 しかし、この結論に至るまでにはとまどいもありました。市議会議員になったことで、思いがけず大きな期待をかけられていることに気付き、自分自身が目指しているものとのあまりの隔たりを感じてしまったからです。
 「政治家としてのカリスマ性(人を引きつける魅力)と、人心をまとめ上げる包容力を身につけて、もう一段器の大きい政治家を目指してほしい」、「政治家たるもの、自分の言葉で10年先20年先のビジョンを語れなければ」など。さらには「やれ法令違反だの、慣例はダメだのと、重箱の隅をつつくようなことは止めて、安曇野市全体を見渡せる能力を磨かなくては」といった忠告もいただき、考え込むことしきりでした。「政治家としてのカリスマ性」、「人心をまとめ上げる包容力」、「指導力・リーダーシップ」など、どれをとっても私には備わっていないことは、私自身がよく分かっているからです。

 それでもなお、私には一つの確信があります。カリスマ性だのリーダーシップだの、政治家としての特別な能力などなくても、市政に関心を持った一市民が議員となって働くことにこそ大きな意義がある、それが市民自治につながるのではないかと。

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