田中知事はなぜ敗れたのか?

2006年8月27日 22時35分 | カテゴリー: 活動報告

門真(かどま)市議会議員戸田氏の分析

 あるメーリングリストから、「田中知事はなぜ敗れたのか?」の紹介が流れてきました。大阪府門真市議会議員・戸田ひさよし氏の「ちょいマジ掲示板」からということで、引用・転載は一切自由とありましたので、ここにも紹介させていただきます。戸田さんは、実際に長野を訪れ、選挙運動の支援をするなかで、このような分析をするに至ったと思われます。私も共感するものがあります。

◆田中知事はなぜ敗れたのか?(戸田ひさよし)
 マスコミほか議員HPや各種の市民HPでいろんなことが言われてきたが、戸田が分析するところを述べておく。これが最も真相を突いた分析であろうと戸田は自負を持っている。

 4年前は対立候補にダブルスコアで勝利した田中知事が、今回は約7万8千票差で敗れたことが「大差での敗北」と言われている。たしかに「田中離れ歴然」ではあった。
 しかし戸田の見るところ、田中知事であればちょっと選挙戦術に工夫をすれば8万票程度の差は楽に逆転することができた。著名人を呼んで話題づくりと街頭大宣伝をし、辻元清美や市民の党型の「全国ボランティア大結集選挙」を展開すれば、絶対に勝てたはずである。

 しかし田中知事は、あくまで「著名人田中康夫」ではなく「知事田中康夫」の実績判断を市井の人々に委ね、その人々の見識と自発的な動きに期待する「田中流理想選挙運動」、田中知事の言葉によれば「ウルトラ無党派」型選挙運動を頑強に堅持した。
 全国ボランティア・市民派の結集を呼びかけず、どちらかと言えば自粛姿勢を取り、街頭動員もほとんどせず、候補者カーでは自分1人だけがマイクを握り続け、おまけに豪雨災害対策でまともな選挙活動は全期間の後半分しかしなかった。

 いくら支援者や側近がヤキモキしようとも、田中知事はその「田中流理想選挙」スタイルを変えようとはしなかった。そして田中知事の意志を変えることができる人は誰もいない構造が頑として存在した。
 
 戸田が思うに、田中知事は自分の任期5年8ヶ月の中で車座集会に集まったりして自分と語らい県政改革の思いを共有した数え切れないほどの市井の人々の見識に全てを賭けたのだ。
 そしてもしもそれで落選ならば、長野県民の見識はその程度のものでしかなかった、自分のもたらした影響力はその程度のものでしかなかったと諦めよう、それ以外の部分で技術的に票をかせぐやり方には見向きもせずに本筋一本で試そう、と決断したのだろう。

 客観的には「今回田中知事が再選されたら、反田中・利権勢力はさすがにタマが続かず内部矛盾も起こって瓦解する」と言われていた。
 また「全国政治的に見れば、滋賀県知事選に続いて長野県知事選で自公候補が敗北すれば、小泉自公政治に終止符が打たれ、安部政権はすぐに吹っ飛ぶ」ことは明らかだった。
 であるならば、理想型選挙に多少の妥協はしても「勝ちに行く」のが常道だと思う。戸田であれ誰であれ絶対にそうする。

 しかし田中康夫はそれを潔しとせず、あくまで自分の美学を貫いた。それで敗けるならばそれも天命、現在の民度はそこまでのものと達観もした、と戸田は思えてならない。
 真の自治体改革推進の面からも、自公政権打倒の全国政治の面からも、全国民衆と活動家の志気の面からも、今回の田中知事落選は大きな損失であり、残念でならない。

 もっとも、もっと長いスパンで見た時に、今回技術的工夫で辛勝するよりも「敗北を噛みしめて再起する」方が良かった、ということになっていくのかもしれない。凡人には今分からなくても天才・田中康夫の直感はそう訴えたのかもしれない。

 いずれにしても、日本の民衆は今回の「敗北を噛みしめて再起していく」他はない。